自営業60代のジジイぢゃ^^
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爽やかな日曜日の朝。さほど寒くもない。
午前中は「琵琶湖周遊ドライブ」に決定。 近江大橋、琵琶湖大橋という有料道路を使い、琵琶湖を2回も横切る。 廻りに見える地名だけでワクワクドキドキする。 突然妻が「彦根へ行こう!」と言い出した^^;;; 「ひこにゃん」を見に行こう!と言い出したのである^^;;; 一般道を使って「彦根」に向かう。 「井伊直弼」で有名な「彦根城」まで辿り着いた。 時間の関係でゆっくりと見学はできなかったが、 その城の大きさや優雅さに感服!!! さてと、いよいよメーンイベントである福井県鯖江市に向かう!^^♪ PR
清水寺の参道でお土産の京漬物を購入し、宿泊先である
大津市瀬田駅前のビジネスホテルに向かう。 途中「瀬田の唐橋」を横に見て車を運転していた。 「瀬田の唐橋」と言えば・・・・^^♪ 7世紀後半、壬申の乱 大友皇子と大海人皇子の最終決戦が行われた場所。 その結果、大海人皇子が勝ち後の「天武天皇」となる。 その天武天皇が古事記や日本書紀を編纂し、 政治体制を整えてゆくこととなる。 こんな話をワクワクしながらするのだが、 妻と娘の耳はお休みになっておられました^^;;;; ホテルの前の居酒屋で、関西弁を聞きながらの夕食となり、 疲れた身体に酔いも廻って、息子家族に電話した。 そこでビッグニュース到来! なんと息子の嫁が、「孫3号」をご懐妊のお知らせ有り @@ 今年の10月下旬が予定日らしい。 11月の父の三回忌には生まれているのだろうか? いずれにしても嫁と孫3号は欠席なんだろうなぁ^^
な、な、なんと@@
「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)之碑」 清水寺は坂上田村麻呂が開基したのだそうで、 関西に住む岩手県人会の方々などが1994年にに建立している。 8世紀末に東北は北上川流域で独自の文化を持ち、 大和朝廷に服属しない「蝦夷(えみし)」と呼ばれていた集団があった。 たびたび朝廷による征討軍と戦うものの、坂上田村麻呂の軍門に下った。 東北を平定した征夷大将軍、坂上田村麻呂は 大将、阿弖流為(アテルイ)と副将、母禮(モレ)を伴って京都に戻り、 その者たちの勇猛さや器量を惜しみ、東北経営に 登用すべく 助命嘆願したものの、公家たちの反対にあい 802年に処刑されている。 坂上田村麻呂の悲願空しく異郷の地で散った二人の 顕彰碑を、清水寺の格別な厚意により建立したとのことが明記されていた。 かねてから憧れていた阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)に出会えるとは、 何やら深い因縁を感じてしまったのであった。 ・・・・・続く ^^
今回の珍道中はメンバー3名。私、妻、娘。
目的地 「福井県鯖江市」 目 的 ファンキーモンキーベィビーズのLIVE 宿泊地 「滋賀県大津市瀬田?」 経由地 1、京都市「清水寺」? 2、滋賀県「琵琶湖周辺」? 3、滋賀県「彦根城」? 何が何だかわからん^^;;ような珍道中。 つまり、せっかく鯖江まで行くんだったら、ちょっと足を伸ばして、 みようじゃないの!っていう行き当たりばったりの旅となりました。 3日(土)午前10時出発。 北陸自動車道から名神高速道を経て京都東ICで一般道へ。 ナビを頼りに「清水寺」までたどり着く。 日本語以外の言葉が飛び交う観光地。 観光客用の開館時間が迫っており、急ぎ足で「清水の舞台」へ。 TVや観光雑誌で見る場所まで辿り着きました。 帰る道すがら廻りの石碑や塔を覗きながらゆらゆら歩いていると、 そこには・・・・・・・・^^ <その2>へ続く
なでしこジャパンに初選出された菅澤優衣香(21)が、
デンマーク戦に初先発して、代表初ゴールを決めてくれました^^♪ 菅澤らしいポストプレーも随所に見られ、おまけに初ゴール! おじちゃんは嬉しくて嬉しくて、大拍手してました。 アルビレックスレディースから1人だけしか選ばれてはいないけど、 次々に選出されるような金の玉子がたくさんいるチームです。 「目指せ!なでしこ」と書かせたサイン色紙は、 その時を待っているはずです。 頑張れ!川村! 頑張れ!小原! |
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SHANG(しゃん)
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/10/31
職業:
自営業(設備・リフォーム)
趣味:
サッカー観戦、歴史本、水道管ゲーム
自己紹介:
他人の笑顔が大好きなんです。
家では「極楽トンボ」と呼ばれたい。 50代にして、日々成長?を続けるメタボな僕。
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