自営業60代のジジイぢゃ^^
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遺影はこうやって決めたんです^^
亡くなった夜、父の遺影を決めることとなりました。 母、妻、娘、弟、弟の嫁、妹、私 この7人です。 あらかじめ用意してあった写真を見た後、昔の父の写真を眺めます。 写真に写っている若き日の姿を、笑いながら楽しみました。 遺影にしても良さそうな写真が、全部で10数枚に絞られました。 さあてと、これからどうやって絞り込み1枚に決定するのか? みんな疑心暗鬼の状態が続きました。 そこで、そこにいる全員に一人づつじっくりと10数枚の写真を見てもらい、 「心の中でこの1枚」を決めて、決して口には出さないという条件で 見てもらう事にしたんです。 さあ、それからは、私が写真をシャッフルして、任意の2枚をみんなに見せます。 1、2の3で、採用すべき写真を指で指してもらったんです。 必ず1枚が残り、1枚が却下される。トーナメント戦ってことです。 3対3になった時は、私が決める。こういうルールで始めました。 これを繰り返しいてゆくと、だんだん枚数が少なくなってきます。 この頃には、疑心暗鬼な表情ではなく、どれに決まるんだろうか?という 興味深い表情に変わっていきます。 自分が「心の中で決めたこの1枚」の行方はどうなるのか? 突然に、こういうやり方を採用したが、このみんなの変化は楽しかったぞ^^ さあさあ、残りは2枚となりました。 最後の指差しで遺影の写真が決定いたしました。 14年も前の若い笑顔の父でした。 結局、私の意見は全く反映させることも無く、素晴らしい写真に決まりました。 決定した後、私も全部の写真を見せてもらいましたが、 私もたぶんこの写真を「心の中」で決めていたと思われる写真でした。 PR
誰でもできる!
大筋の役割分担については事前に決めてあって、みんなにわかるように してあったものの、細かいことについては事前に決めずに その場その場で指名してお願いすることになった。 例えば、出棺の際の霊柩車やバスに乗る時の役割だとか、 火葬場から戻る時の役割、お斎の「献杯」時の発声者など、 その場で良いものについては、突然声が掛かり その方にお願いするというやり方です。 妹の子供達は、お通夜や告別式の受付を担当させられ ひ孫の世話係まで突発的に担わされました。 弟の娘達は、火葬場からの骨箱、遺影、分骨箱を持たされ、 家では賄いの手伝いをさせられることとなりました。 妹や弟はそれなりの年齢ですから、どんな場面でも対応ができますが、 甥っ子姪っ子は上でも20代半ば、下は10代です。 にもかかわらず、みんな気持ち良く動いてくれました。 大勢の中で指名した時、涙目になりながらも躊躇せず前に出て 大役を果たしてくれたってことにも感謝しています。 こういうやり方でも、充分役割を果たしてくれるものです。 ドキドキしながらでも、頑張ってくれたみんなに感謝です。
3歳の孫の反応
「じいちゃん、寝てる」といいながら、冷たくなった父の頬を 撫でてあげておりました。このお盆に帰省したばかりでもあり、 父の事は覚えていたようですが、亡くなったってことは理解していなかった。 それに引き換え、20代の孫娘達は凄い反応を示しておりました。 亡くなる前の意識不明状態ですら、病室に入って父を見た瞬間から、 泣き崩れる娘達。身近に亡くなることになる身内を、どのように 受け止めるのか?これこそは、経験がものを言うのではないかと思う。 それほど身近じゃない方の臨終に望む場合とは、決定的に違う。 本を読んだり、映画やTVで疑似体験する感覚とも圧倒的に違う。 生の感情や心情を体験することの大切さは、わかったのではないかと思う。 このような経験は、早いほうが良いと思われる。 核家族世帯が増えることは、このような経験値を上げさせない事となってしまう。 娘は初七日の法要の時に、お寺様にお願いして お経の本(解説付き)を戴いておりました。 キリスト教の高校に行っていたからなのか? 生死の狭間の父を身近で見ていたからなのか? お経の本は、娘の枕元に置いてある。
お通夜・葬儀式の日取りを決める。
参列者への返礼品を決める。 お斎の会場を決める。お斎の参列者を決める。 担当するチームと、役割分担を決める。 タイムスケジュールを場面場面を想定してみる。 情報を共有化するための道具を作る。 最終的な責任は喪主である私である。 わからんことは、わからんまま事は進んでゆく。しかしながら、 目的と方針を明示し、私さえ最終責任が取れるのであれば 後はみんなのアイデア次第で、いくらでも変化させられる。 思った通りに家族や親族からはアイデア続出。 ・納棺までは家族のように過ごしたい。 ・返礼品は軽ければ軽いほど良い。 ・お寺様の法話は短ければ有難い。 ・通夜振舞いには、大勢の方々に来てもらいたい。 ・お天気が良ければいいけどねぇ。 ・遺族席には、ひ孫まで家族揃って座りたいねぇ。 もちろん、親族からは「ああすべき!、こうすべき!」というような 良き?アドバイスも多々ありながら、キレずに聞き流す^^ お寺様の法話とお天気については、どうすることもできないが、 それ以外の人知が及ぶ事項については、アイデア採用。 ・自宅に安置した遺体の顔には、白い布ははずされて、 眠っている父の頬を撫でる者あり、話しかける者あり。 まるで亡くなっていないかのような扱いで過ごしました。 ・返礼品はスープセットに決まり、軽い、軽い。 ・通夜振舞いには100名を超える方々で大混雑^^ 会場に入るとバイキングに群がっている状態を見て感激し、 父の昔話を聞かせてもらい、一口ラーメンが無くなるまで食べ、 飲み、食べ、飲み、お開きとなったのは午後9時半でした^^ ・3歳と7カ月の二人のひ孫も遺族席に同席したかったが、 3歳の娘は眠くて耐え切れず、姪っ子に預けて急場を凌ぐ。 告別式には二人とも、いい子で参列できました。 ・期待してはいなかったが、みんなが望んでいたように 新潟の11月には珍しく二日間共「春」のようなお天気。 火葬場では待ってる間にひなたぼっこできましたぞ。 ・予想に反して法話も比較的短く、ほっとしました。 私の喪主あいさつで「明るく見送ってあげたい」との言葉が 印象に残った方が多かったようですが、勘違いして覚えていて 「お前のあの、明るく楽しくという言葉が・・・・」という方々が居て、 「私は、明るくとは言ったけど、楽しくとは言ってないですぞ(汗)」と 訂正すること度々。私のキャラがそう聞こえたんでしょうねぇ^^;; お天気も素晴らしい状態で、明るい葬儀が終わりました。 母、親族、甥っ子、姪っ子、嫁、孫・・・・みんなの力を借りて イベントを作ることができました。 久しぶりにみんなと会う事が出来たのも、亡くなった父のお陰です。 久しぶりにイベントを作ったことも、父のお陰です。 息子の私は充分満足しておりますが、 はてさて、父は喜んでくれたでしょうか? 私があちらに逝った時に、聞いてみるつもりです。
本当に、私がしなければならない事が現実となったのは、
お寺様の枕経が終わり、葬儀屋さんとお寺様から 「お通夜は何日にします?」と問われた時でした。 「あらら、そうかぁ。俺が決めなくちゃならないんだ!」 そう思った瞬間から、感傷的な気持ちは置いておいて 具体的な葬儀の段取りについて、気持ちの切り替えができました。 割と瞬間的に切り替わるタイプなので、廻りの人達は気が付かなかった かもしれませんが、実はそれまでのふわふわ感は、その時に払拭されたんです。 次に考えたのは、「父はどのような葬儀を望んでいたんだろうか?」 どのように見送ってもらいたかったんだろうか? 涙でくしゃくしゃな、悲しい悲しい葬儀もあるだろうけど、 ある程度の年齢まで生き、家族に温かく見送られた父の事を思うと 「明るく」見送ってあげたいとの思いが強くなっていました。 目的と方針は早々に決まりました。 「頑張って生きた父を、みんなで明るく見送ること」 これさえ決まれば、後はみんなの協力があれば、何とかなるだろう。 何だか昔のイベントを作っている時のような気分にさせられた。 もしかして、この時の為にやってきたのだろうか?という気にさえさせられた。 それならば、種類は違うもののやり方は同じだ! 携わる人達、関わる人達が、気持ち良くイベントを作り上げるべきだし、 結果的に故人も遺族も喜んでくれるに違いない。 思いもしなかった。 13年ぶりに、イベント運営の中心となった。 |
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1954/10/31
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自営業(設備・リフォーム)
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サッカー観戦、歴史本、水道管ゲーム
自己紹介:
他人の笑顔が大好きなんです。
家では「極楽トンボ」と呼ばれたい。 50代にして、日々成長?を続けるメタボな僕。
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